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来年のクリスマスは恋人と一緒に過ごしたい人へ [サイト管理者のぼやき]

2016年のクリスマスはいかがでしたでしょうか。
クリぼっちという言葉が流行るくらい、カップルで
過ごした方達は当然ながら、一人でもクリスマスを
満喫した方もいらっしゃるかもしれません。

自分もその一人かもしれません。というのも、
出張でミラノにおりまして、今年のクリスマスは
ほぼ一人で楽しんできました。

寂しくてやさぐれるかな?と思いましたが、
海外でのクリスマスは新鮮で、意外と楽しめました。

しかし、日本で多くは彼氏、彼女と一緒に過ごす
クリスマス(イブは特に)というのが主流ですので、
それを目指して頑張ってほしいと思います。

相手がいることなので、クリスマス直前に頑張れば
どうにかなるわけではありません。
1年前から行動するということが、早すぎるということもありません。

ぜひ、2017年はカップルでのクリスマス・デートを
目指して、今から少しずつでもよいので行動していきましょう。


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悪縁バッサリ!縁切り寺で有名な東慶寺をご紹介 [略奪愛・復縁]

今回紹介する事になる東慶寺は神奈川県鎌倉市山ノ内に
建てられている臨済宗円覚寺派の寺院になります。

こちらは今から約730年程前となる1285年に北条時宗夫人の
覚山志道尼によって開創された場所で、そこから明治時代に
至るまで本山を持たない独立した尼寺となっていました。

さて実はこの東慶寺という寺院には江戸時代において
縁切り寺として非常に有名な場所となっていたという
経緯があった物となっています。

この縁切り寺というのは夫との離婚を望む女性が駆けこんで
定められた条件を満たす事で離婚を成立させる事が出来るという
寺院の事なのですが、その条件というのは駆け込んだ寺院において
髪を切った上で読経や和裁等を始めとした修行を約2〜3年程積むという
過酷な物となっていました。

しかしそれでも本寺院に駆け込む女性の数は1年間で約42名という
記録が残されている程に非常に多い物となっており、これには
江戸時代の日本において女性から夫に対して離婚を申し出ることは
許されていなかったという事情がある物となっているのです。

尚修行を無事終えて夫との離婚が成立した女性は別の男性との
再婚も出来る物となっていた事もあって東慶寺は女人救済の
縁切り寺として非常に有名な場所となっていたのですが、
この家庭裁判所的な機能が働いていたのは江戸時代のみとなっています。

これは1871年に縁切りの寺法が廃止された為で、続く1902年に
本寺院は尼寺としての役目も失う事となりました。

この様に縁切り寺としての歴史を持つ本寺院ですが、
現在においては古い縁や過去の想いという悪縁を断ち切る事によって
良縁を結ぶ事が出来るという縁切り寺として非常に有名な
パワースポットとして非常に有名な場所となっています。

その為に現在の東慶寺という寺院は江戸時代の様に女性だけでなく
男性もその恩恵を受ける事が出来る場所となっており、恋や婚活に
迷った人達が日夜訪れる場所となっているのです。



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悪縁バッサリ!東京都の縁切り寺:於岩稲荷陽運寺 [略奪愛・復縁]

東京都にある於岩稲荷陽運寺は縁切り寺として知られ、
離縁をしたいのにできなかった女性を救ってくれると言われているのです。

そしてこの縁切り寺の特徴は東海道四谷怪談で有名になった
お岩さんを奉安していることです。そのお岩さんというのは、
夫に殺された後に幽霊となってまで恨みを晴らしたとして知られています。

このお寺の本堂にはお岩さんの木像が祀ってあったり、
また、境内にはゆかりのある井戸もあるのです。

それらを一般の人々にも参拝してもらおうと作られたのが始まりなのです。
なお、お岩さんは怖い幽霊の象徴にように言われていますので、
恐怖の対象のようにもなっていますが、実際のところはどこにでもいる
いたって普通の主婦であり、むしろ良妻賢母でもあったと言われています。

そんなお岩さんですから古くから女性にとっての守り神のようにも
崇められています。参拝に訪れることによってお岩さんから
離縁するためのパワーをもらえるというのがこのお寺の特徴なのですが、
それだけでなく良い縁を結ぶためにも良いとされています。

そのため離縁を願いつつも新しい出会いを求める女性にとって、
訪れてみる価値のあるお寺です。また、単に離縁や良縁といった人に
関することだけでなく、心底断ちたいと思っているもの、
例えばお酒やタバコ、ギャンブルなど、悪いものを切り離すという
意味でも力になってくれます。

なお於岩稲荷陽運寺へ祈願へ行く際には意識したいことがあります。
まずお参りをして離縁を願った後に心願成就の石に叶玉を願いを込めて
投げ入れると邪気を払ってくれると言われており、さらには良縁も
同時に得られると伝えられています。
その際には叶玉は持ち帰らないようにしましょう。

そして大事なのが縁切りを先に行い、それから縁結びを願うようにすることです。
まずはしっかりと悪い運を断ち切ってから良い運を掴むといった順番で行うことが
パワーをもらうためのコツですから心がけてみると良いでしょう。



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悪縁バッサリ!縁切り寺:満徳寺 [略奪愛・復縁]


前回、縁切寺の情報について書くという記事から
更新間隔があいてしまい、すいません。
今日以降、徐々にいくつかの県にある縁切り寺について
紹介していきたいと思います。


群馬県の太田市徳川町にある満徳寺は江戸時代、
鎌倉の東慶寺と並ぶ縁切り寺として有名でした。

縁切り寺とは男女の差が激しかった江戸時代にあって
離婚を求めて駆け込む妻を救済し、その願いである夫との
離婚を叶えさせる特権を幕府から与えられた尼寺のことです。
別名は「駆け込み寺」や「駆け入り寺」とも言います。

この特権を持った寺は当時、満徳寺と東慶寺の二つしかなく、
江戸時代が瓦解するまでその数は変わりませんでした。
つまり世界に二つだけの縁切り寺だったというわけです。

その発端はどちらの寺も徳川家康の孫娘であり、豊臣秀頼の妻に
あたる千姫が関わっています。
東慶寺は千姫が助命した豊臣秀頼の娘である天秀尼の入寺にあたって、
家康が縁切り寺の制度を特別に許可されたことをきっかけに、
また満徳寺は千姫自身が豊臣家との縁を切るために入寺したことが
きっかけだと言われています。

満徳寺の史料は火災や明治維新による廃寺の影響で確実な記録は
ほとんど残っていませんが、本山も末寺も持たない独立した寺であった
縁切り寺は御所寺として確かな格式を持っていたことは間違いありません。

そんな寺の始まりは先述したように史料が失われたために言い伝えしか
残っていませんが、それによれば始まりは鎌倉時代にまでさかのぼります。

鎌倉時代、上野国で活躍していたした武士である徳川義季が寺を建立し、
その最初の住職になったのが出家した義季の娘だと言われています。
以降、新田氏に所縁ある人たちが住職になっていきましたが、
残された史料には200年という空白が見られることから新田氏の没落とともに
満徳寺も衰退したと考えられています。

なお新田氏に所縁ある人たちが住職になった理由は徳川義季が
清和源氏の新田氏の支流であったからです。
付け加えるなら徳川義季は徳川氏の始祖にあたる人物であるため、
のちに徳川家康によって徳川氏および松平氏の遠祖と見なされています。

現在満徳寺は縁切り寺だった背景から縁切りと復縁のご利益があるとされ、
寺の横にある白黒のトイレに願いを込めた縁切り札と縁結び札を流して
祈願するという独特の方法が提供されています。


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縁切りの必要性と方法について [略奪愛・復縁]

>>メールでできる縁切りの先生はこちら

新しい彼氏を見つけるためには、前の彼氏や
ちょっと気になっていた人などの縁を切り、
次に進まなければ、もしくは、一本に絞らなければ、先に進めません。

そのために有効なのが、縁切りということになってきます。
良縁を得るために、悪縁を断ち切る必要があるということです。

自分でできる縁切りについては、前回の記事に
書きましたので、そちらを見ていただきたいのですが、、、

>>自分でできる縁結びと縁切りの方法

自分ではできなそうな人のためにも、救済が必要かと思いますので、
そういった人たちのために、縁切り寺というものがありますので、
それらの寺について、今後記事を書いていけたらと思います。

<関東圏の縁切寺の例>
・東慶寺(神奈川県)
満徳寺(群馬県)
・於岩稲荷陽運寺(東京都)

などが、そうした縁切寺に該当するお寺になります。
待ちきれない場合は、それらのホームページを調べて
みるのもよいですね。それではお楽しみに。


>>ぜひこの先生に相談してください





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